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琴線に触れる。


展示から1ヶ月半ほど過ぎて

だいぶ落ち着きを取り戻しつつも
新たな動きなんかもあったりして

なんだかまだ心が微熱をもったような
フワフワした、そんな気分です。

その後、いろんな所で
展示の感想をいただいています。

期間中会場に置いていた感想ノートにも
たくさんの素敵なコメント
本当にありがとうございました!

その中でけっこう多く聞いた
気になった言葉が2つあります。

癒された

「癒される」という感想は意外だったというか
そんな力が私の絵にあったのかと
驚きながらも素直に嬉しく思います。

泣きそうになった

1番心を揺さぶられた感想です。

実際に目にウルウルと涙を溜めながら
私に感想を伝えてくれた方もいらっしゃいました。

私は、私の絵を見て

「元気になってほしい」
「楽しい気持ちになってほしい」
「感動してほしい」など

そういった気持ちがありません。

そんなのアーティストとして駄目だと
お叱りを受けそうですが、本音です。

絵を見てどんな感想を持つかは
見る側が決めることだと思っているからです。

皆さん「絵のことは分からないけど…」と
よく言いますが、それなら私も分かりません。

極端に言えば分かる必要ってあるんでしょうか。
絵そのものに説明なんていらないし
なんだったらタイトルもいらないかも

その絵を見た時のあなたの素直な気持ち

単純にそれだけでいいと思います。

「何を考えて、どんな気持ちで描いてるの?」と
よく質問されることがありますが

返答に困ってしまいます。

私が絵を描いてる時は

喜怒哀楽、様々な感情の起伏があり
時には何も考えていない無の状態であったり

言葉では説明できない心持ちなんです。

そんなんだから絵を見て
◯◯と感じてほしいというメッセージ性を
込めることができないんでしょうか。

だから自分の絵の説明を求められても
うまく答えることができないのかな。

でも、たった1つだけ
信念というか…強い想いがあります。

見る人のどの感情でもいいから
何かしらの感情を揺さぶりたいんです。

少しでもいい、心の琴線に触れたい。

重低音のドンッ!としたインパクトはなくても
琴を軽く弾いた程度でも余韻の残る絵でありたい。

だから泣きそうになったというのは
その人の感情に触れたということ

そう思って私の心も震えたんです。

多分、泣きそうになった人達も
なんで自分がこの絵を見て泣きそうなのか
理由は分かっていないんじゃないかな。

私の絵には相反する様々な感情が入り交じっていて
ある何かがその人の琴線に触れたのではないか。

自分ではそんな感じで解釈しました。

知ってる方もいるはずですが
私が描く女性は眉毛がありません。

その理由は

現実味をなくして不思議な世界観を作ることと

感情を表現しないためです。

感情を表現していない女性の絵を見て
人はそれぞれの琴線を響かせて

なんらかの感情を沸き起こす。

それってちょっと凄いことじゃないかなって

私はそう考えています。